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史実において独逸軍は、この年の六月二十八日早朝を期して「ブラウ作戦」を実施していた。
この作戦は、トレスコウ大佐の伯父のフェードア・フォン・ボック元帥が指揮する南方軍集団百三十万人によって、ソビエト南方の油田地帯であるカフカース地方の占領を目指していたのである。
しかし、進撃開始早々南方軍集団は、ドン川沿いのヴォロネジ市街地で、スターリンの死守命令によって頑強に抵抗する、ゴリコフ中将指揮のブリャンスク軍により、これの攻略に七月七日まで掛かるという不手際を演じてしまった。
これに激怒したヒットラーは七月十五日、司令官のボック元帥を解任して自らが指揮を執る為、翌日の十六日に総統大本営を東プロシアのラステンブルクに置かれたヴォルフシャンツェから、ウクライナ西部のヴィーンヌィツャへ移しにやって来るのである。
尚、作戦決行日がXデイとされているのは、帝科研の介入によって歴史が少しずつ変化してきていた為に、作戦目標のヒットラーの移動日が確定しておらず、その行動を確認してから決行するための安全処置であったのだ。
だが、新生帝国時代でのブラウ作戦の進捗状況は、ほぼ史実通りであって七月十日現在、ヴォロネジ攻略に関わっていた第四装甲軍が、ようやく解放され南方へ転じてスターリングラードへの進撃を開始したばかりであった。
フェードア・フォン・ボック元帥
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