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蔡瑁は陣幕の中で一人、溜め息をついていた。魏延が来ると、煩わしそうにそちらを見たが、いつも何かと飛び出す文句も小言も無しであった。疲れきった表情が魏延には苦しい。
「止まないだろ、嵐」
「術だと言いたいのか」
「じゃなかったらなんだよ」
蔡瑁はまた溜め息をついた。幸せが逃げるというが、蔡瑁のそれは疲れを逃がす息継ぎに近かった。
「…そんなことを認めたらいたずらに士気が下がる。明確な証拠無しにはどうにもならん」
「そうでもないぜ。というか、もう噂になり出してる」
そう言ったとたん、蔡瑁は魏延を睨んだが、すぐに首を振った。
「…どうしようもないな…一度退くか」
「まだ早い!術なら、相手を倒せば消える筈じゃないか!」
「誰が術者かも分からない…そいつがどこから術をかけているかも分からない!どうすると言うんだ!」
魏延は黙るしかなかった。何も見付けられず帰ってきた初日を思い出したからだ。
「でも…術だと分かれば対応もあるだろ?」
「……」
魏延が静かに言うと、蔡瑁は彼をじっと見据えた。魏延がたじろぐほどに。
「魏延…その勘は確かか」
「…ああ。これは人為的な嵐だ。この時期にこんな天気は有り得ない。農民だったから敏感なんだ。…信じてくれ」
「…分かった。出ていけ」
蔡瑁の言葉に、魏延は従った。外に出るとまた雨に濡れる。でも大丈夫。蔡瑁がその気になれば。
にしてもこの気持はどういうことか。魏延は蔡瑁と視線を交わした時の事を回想しながらゆっくりと持ち場へ戻る。まるで父親と意見を交わすようだった。父親とは、そんな風に会話したこともないまま別れた筈なのに、魏延はそんな感傷を抱いた。
それからすぐに蔡瑁は軍を招集した。魏延も末席に並ぶ。雨の中、ろくに調練も出来ていなかったが、緊急とあって兵らの集まりは早かった。それだけ皆、この膠着状態を終わらせることを蔡瑁に期待していた。
豪雨の音にもかき消えぬ大声で、蔡瑁が言った。
「聞け!この嵐を逆手に取り、相手を奇襲する!相手には嵐を作り出す術者がいる!嵐により我々の士気を下げてから攻めるつもりだ!我等は間道から奴らの陣の裏へ回り、奴らが出陣した隙に張羨の陣を奪い取る!」
高らかな迷いない演説だった。
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