第二章・嵐夜

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しかし魏延がそんなことまで考えていたはずもない。彼はただ、この前の続きをしたかっただけである。 やがて、訓練も出来ぬような嵐の中、空をにらんでいた魏延は、嵐の終りがくることに気がついた。はっとして周りの兵卒に言う。 「嵐が弱まった…おでましのようだぜ!」 矢倉からすぐに降りると、魏延は走って、陣そばの木に繋いであった馬に飛び乗った。先の小競り合いの唯一の戦利品である。そして剣を持ち、陣の入口に仁王立ちした。物見櫓の兵が敵の襲来を告げる。鬨の声。やがて魏延の目にも、薄く霧がかった雨上がりの向こうに、大量の軍旗が見える。 鼓が打ち鳴らされるより早く、魏延は大声をあげた。 「行くぞ、決して怯むな!!!」 その声は大きく、兵たちの心を奮い立たせた。鼓が魏延を後押しするように打ち鳴らされる。 その場の指揮を任された人間の声よりも魏延の声が力強いもんだから、皆そちらの将軍の声も聞かずに魏延とともに敵に突撃し始めてしまった。陣もなければ用兵というものですらない。元々魏延自身には兵を指揮しようという気はないのだから仕方がない。 しかしそれが兵の死力を引き出したことだけは確かである。徴兵されたばかりの農民らは、本来考える保身や故郷のことを忘れ、一心に魏延に従った。それは張羨を迎え撃つ大きな濁流となる。 軍馬が数騎、そしてその後ろに大量の歩兵。張羨は、軍馬の中央にいる。魏延は迷わず前から突撃した。 「はあっ!」 魏延の剣が虚空を裂いた。歩兵が薙ぎ払われ、視界から消える。一気に魏延は駆けた。相手の陣を一直線に斬り払いながら駆け抜けた。馬に踏まれた者、魏延に両断された者、数はわからない。魏延もそのあたりにいる兵を斬っているだけで、正直なところ何をしているんだかさっぱりなのである。しかし敵陣を貫いてまた戻って来た時、魏延は確かな手ごたえを感じた。 更に勢いづく魏延を周りの兵卒が援護した。矢倉から一斉に弓が放たれ、射倒す。人数の圧倒的な差から、このままではいずれ全滅することは明らかではあった。しかし、蔡瑁の陣の士気低下を狙っていたのに死力を尽くして攻め込んでこられた張羨の軍は、まるで逆に奇襲でもされたかのような混乱に陥って、そのおかげで魏延たちは一時、その足を完全に止めることに成功した。
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