第二章・嵐夜

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明くる朝。 魏延は戦での働きを認められ、蔡瑁から金銭を受け取った。とはいえ、あまり金に執着のない魏延にはどうでもよいことだったので、浮かない顔を蔡瑁に見せることになった。 するとそれを見かねたか、蔡瑁がその日の夜、羌娘に取り次いでもらい、やってきた。 「魏延、今回はご苦労だったな」 「ん、いや、楽しかったぜ」 「そうか…こちらは心臓に悪かったわ。とにかく…お前を昇格させてやろうかと思うのだが、どうだろう」 その不思議な言い方に、魏延は首を傾げる。 「…?そういうのって、勝手に決められるもんじゃないの?」 少なくとも魏延は、何か手柄を立てれば勝手に昇進していくものだと思っていた。しかし蔡瑁は首を振る。 「確かに、お前の働きならすぐ将軍にまでなれるかもしれない。だがお前には、ただの兵卒の方が向いている気がしてな」 「…」 その言葉に、魏延はなんとなく理解できるものを感じた。兵卒という何の責任もない立場であればこそ、意のままに剣を振るえたのだ。 「魏延…お前は、お前の思うまま生きてほしいんだ」 蔡瑁は真面目な顔でそう言う。 「思うまま?この乱世で、そんな自由が一体何処に転がってんだ。呂布みてーな末路を遂げるのがオチだろ」 魏延が笑い飛ばすと、しかし蔡瑁は笑わなかった。 「それでいい。望むまま生きろ。お前は蔡家を背負わぬ。豪族という肩書きもない。何処へでも行けるんだ」 蔡瑁の射すくめるような瞳が、魏延を見ていた。 「…蔡瑁…なんでいきなり、そんなこと…」 魏延の問いに、蔡瑁は答えた。微笑みを浮かべて。 「なんのことはない。親は期待してしまうんだ…子どもに、自分には成しえなかったことを」 「…」 「だから、兵卒のままでいたいか、昇進したいか、お前が決めていい」 その言葉を受け、魏延は考えた。自分がいたい場所はどこなのか。 答えは簡単に出た。何処だって構わない、戦に身を投じるなら。だとすれば。 「…兵卒でいるよ」 「どうして?」 「適当に、暴れたいからさ」 「ふ…成程な」 蔡瑁はその答えに納得したのか、頷いて、それから立ち去ろうとして、ふと気が付いたように振り返った。 「…そうだ…代わりに褒美をやろう。…黒馬は好きか?」 その言葉が、魏延を一番喜ばせたことは、言うまでもない。 こうして魏延の初陣は終わった。彼の活躍が記されることは、無かった。
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