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魏延は一兵卒としての出陣である。
それを、しかし嫌だともなんとも魏延は思わなかった。何より、蔡瑁の部隊の配属であったから、彼の命令を聞くことを苦痛だとは魏延は感じなかった。
蔡和、蔡仲も蔡瑁と共に出陣しており、蔡瑁が馬で、その他は徒歩で長沙目指して行軍する。その間、魏延は馬上の蔡瑁には聞こえないよう、蔡仲と蔡和と小声で会話をしながら進んだ。
「なー、ぶっちゃけ蔡瑁って強い方?」
「父上は強いよ」
「ふーん」
「魏延も十分強いけどなぁ」
どうやら話を聞いていると、魏延が蔡瑁と一騎討ちの末に一発蹴りを喰らわせたことは噂になってしまったらしく、魏延はいつの間にやら他の兵卒から一目置かれていた。それは魏延にとっては少しこそばゆく、また誇らしいことだった。
「魏延、お前の武勇でこの軍を引っ張ってよね」
そう言って、蔡和は微笑む。蔡和より気の強い蔡仲が横から口を出した。
「怪我でもしたら承知しないからな。お前が怪我すると他の士卒にまで影響しかねない」
魏延は思わず、笑ってしまう。せっかくただの兵卒として暴れまわれるかと思っていたのに、そう責任を押し付けられてもなんとも言い返しようがなかった。
「蔡和、蔡仲、お前らだって怪我したら一大事だろ?なんせ蔡瑁の甥なんだし」
「そだけど」
「俺らの場合腫れ物扱いだからな」
二人はちょっと寂しそうに言った。
そうこうする間に、長沙の張羨軍が見えてきた。蔡瑁は士卒に命じ、陣を敷く。
しかし曇り空は妙に重々しく、魏延は何かに圧迫されているように感じた。そしてそれは、二人の友人も同じらしかった。
「なんかおかしくない?」
とは蔡仲の言葉。そして魏延も頷いた。
「こんな暗い空は見たことねぇ…必ずなにか来るぞ」
農民の子であり二人以上に天候には敏感な魏延は、その変化に気が付いていた。
嵐が来る。
「蔡和、蔡仲、蔡瑁に伝えてくれ。かなりでかい嵐だ。俺、ちょっと気になることがあるから出てくる」
「え、気になること?」
「おう」
嵐の来た方向、相手の陣、領土には雲が見えない。偶然か、それとも。
魏延は一人、馬にも乗らず歩き出した。蔡和はついてこなかったが、蔡仲はとことこと後ろをついてきた。
魏延はまだ知らない。この歩み一つが、彼の人生を大きく歪ませることを。
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