一章 魔法使いは突然に

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* (5)  獲物は射程圏内に近づいている。長い前髪の下から、気づかれないように視線を据えて、シンシアは心中でカウントを開始した。 (4)  耳に届くのは、軽快なバグパイプの音色。じっとしている事を許さないような、テンポの早い旋律が城下町の広場を賑わせている。  音色に急かされるように、集まった人々の足取りは速い。  晴れ渡った空に、幾重にも張り巡らされた色とりどりの旗がなびく。風が運ぶのは、香ばしく焼けたパンや、甘辛い串焼きのたれなどの、雑多な、けれど空腹を刺激する匂いだ。 (3)  やまない音楽。進む足取り。滞ることを知らない人の波。  今日はめでたい、祭の日。国民という国民が、今日のこの日だけは、煩わしい仕事を放り出し、日も高い内からごちそうを口にして浮かれ騒ぐ。  悪しき前王を廃した将軍様の善行を祝って。  三年前から始まった、まだ歴史の浅い祭ではあったけれど、初夏の気持ち良い季節、農繁期のいい息抜きとして、この祭はすっかり国中に浸透していた。 (2)  道行く人の気はそぞろ。誰もが日頃の鬱憤など忘れてしまったように、輝くばかりの笑顔を浮かべてはしゃいでいる。  シンシアも、祭は嫌いじゃなかった。  例え、祝う内容にはこれっぽちも賛同できないとしても。  焼きたてのパンや酸っぱい葡萄酒が無料で配られるし、広場には人々が溢れ、目移りするばかりの祭の賑わしさに、酔って、注意もおぼつかない。  露店の主人らにおだてられ、財布の紐もゆるくなる。こんな日は、そう……。 (1)  スリをするのにうってつけだ。 (0!)  目をつけていた標的が、シンシアの射程圏内に入った。シンシアは何気ない顔の下で、ひとりそっとほくそ笑む。  今日の標的として選んだのは、いかにも小金を蓄えてそうな中年のおじさんだった。三つ揃えのスーツをスマートに着こなし、着飾った貴婦人を連れている。  本来なら城内での催しに参加する身分のようだが、大方、偶には庶民の祭でも見物しようと、物見遊山でやってきたのだろう。好奇心を出したのが、運のツキ、といったところか。  
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