エピソード5

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早速ですが、起承転結の「結」です。 (まさか居ないとは思いますが、このページだけ読んでいる方) →全く問題有りません。せめて、19ページは一読下さいm(__)m 作者の特権は、ストーリーを意のままに操ることが出来る点ですね(笑) これが連載物とかだったら、違った展開もあるのでしょうが。メインキャラを死なせないでとか。 前置きは、此処まで! 一応、小説風エッセイ(のつもり)ですので、途中で触れた疑問点に結論を付けて行きます。(多少の消化不良はご容赦下さいm(__)m) (1)人間(凜ちゃん)は悪魔(Fリヒター)に勝てるのか? →ある条件の時にのみ○ (今回は堕天使フォイフォイの力を借りた)。よーく考えると、悪魔が実在しなければ(人の心の闇の中の概念だけ)、いつでも勝てます(笑) 余興(エンターテイメント)の中の悪魔は、それこそピンからキリまでいます。 (2)その他の疑問点(礼一君の復活や凜ちゃんとの恋)は、作者がうろ覚えなので、次ページ以降に解説します(笑) 本題の「人間の本質」とは、喜怒哀楽を持った動物です(けっして、特別な存在では有りません。自分を見つめて自覚しましょう)。個人的な意見では、基本は「ちょい悪」ですね(笑)。 もう一方の「死後の世界」は、形而上学(頭の中の学問)の範疇です。最先端の理論物理学(物質「クオークや超ひも理論」や宇宙の起源「ビッグバンやインフレーション理論」)が哲学(般若心教)と繋がりが有る様に、想像の産物です。 逆に「死後の世界」を豊かに記述することで、生者の世界を目標を失わずに、生きて行けますね。 敢えて、逆説的な表現を使いますが、世の中全体から眺めれば、一人一人の人間の価値は、それほど大したことは有りません。但し、当事者(個人個人)は、唯一無二です(物理的に考えて、人体を構成する細胞の数や遺伝子の組合せパターンの数から)。 全体と個人個人の折り合いを付ける方が無理です(笑) 死後の世界を記述した携帯小説も、いくつか公開されています。示唆に富むものも、沢山有ることと思います。 私、個人は自分の見た物、感じたものを信じます。 2009年9月9日の時点では、「死後の世界=無」。但し、自分を取り巻いていた関係者の心には、厳然と存在することになるでしょう。 (正しいかどうかは、読者の皆さんの想像に委ねます(笑))
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