文久三年【初夏】

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    芹沢は八木邸に真っ直ぐ帰る事無く街を歩く 初夏の昼下がりは蝉の音が喧しく苛立つ 普通は何処へ向かうか聞くはずだが、生憎と私にはどうでも良い事で黙って後を追う 芹沢は何も言わずに何処の店にも立ち寄らずに歩き続けた 珍しいとは思った この男は散歩とか見物と言った自分の嗜好や享楽に関わらない事が嫌いで何もしないなんて事は無い なら、何の為に何処へ向かっているのか…少しだけ気になると芹沢は突然足を止めた 「何故新見が此処に居るとわかったのかね?」 芹沢の視界の先には角屋の裏手がある 私はまだ京の地の理に明るくない為、芹沢が遠回りに角屋を目指していた事に気付かなかった 「新見殿が初めて私の部屋へいらっしゃったので後を追ったのです」 「そうか…本庄君、私はいつ死ぬのかね?」 「芹沢様次第でございましょう…刀を抜けば死期を早めるだけ」 「私に刀を抜くなと?」 「滅相もございません、私は芹沢様の問いにお答えしただけで助言をしたのではありません」 「なら新見は刀を抜いたから死んだと?」 「正確に申し上げれば抜く相手を間違えたのでございます」 「それは、浪士組に?それとも君に?」 「私も浪士組にございます」 「…そうだな、本庄君…私はまだ死なん」 「左様でございますか」 「あぁ…絶対にだ鬼も斬る」 「…それは私も、でしょうか?」 「君は余りにも美しい鬼だ…つい手を伸ばせばこの命は無いだろう、だが君は私の籠から居なくなってしまう日がいつか来る……その時は、私のもので無くなる位ならば君を斬る」 「御健闘をお祈りします」 「はははっ…相変わらず喰えない女だな君は、だからこそ気に入ったのだ…」 芹沢は酒に酔った様に気分良く邸へ戻る 喰えないのはあんただ芹沢
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