文久三年【夏之壱】

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    「野口殿大丈夫ですか?」 勿論、私は大丈夫じゃない 完全に野口の下敷きになって内臓破裂を起こさなかった事は奇跡だ 頭は幸い布団の上で助かったが背中はジンジンと痛む 「私はお前に斬られるのか?」 呟いた声は低く小さかった 野口が私を貴様ではなくお前と呼んだのも気になったが… 私が野口を斬る? 理解が全く追い付かずポカンと天井を見上げて話の前後も無い為、最近を振り返っていた 「お前は、私も平気で斬るのか?」 天井を見上げる私の顔の左側に野口の顔がある 左手は動かないし感覚も鈍いから気にしてはいないが右手は尋常ではない力で野口が握り締めている 「私は何があっても野口殿を傷付けたりはしません」 野口の握り締めた右手は親指が内側に入り過ぎて脱臼寸前だ 「私は死にたくない、でも芹沢に斬られるくらいならお前に斬られた方がましだ」 野口は両手を離すと私を抱え込んだ 酒を飲んでいない 野口からは一切酒の臭いはせず、微かに煙管の香りが残っていた 「野口殿、一体誰に何を言われたのですか?」 野口は震えながら私の髪や頬に顔を擦り寄せる それは、私を確認する様なものではなく まるで、私の体温で自分の存在が確かに今此処に在って、生きているのだと実感させるような生に縋り付く姿にも感じられた
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