文久三年【夏之壱】

5/12

5136人が本棚に入れています
本棚に追加
/554ページ
    「野口殿、お話下さいませ」 私は右手を野口の背に回した 寸前に迫る死の恐怖は人をこんなにも弱くする 人は一人では生きられない 人が人に縋るのは至極当然 人を何人斬ろうと贖える己が命は一つ それと同じ様に何人を背に抱えようと本当に守れるものは一つ 命か誠か、それとも…心か 野口は私の命も心も抱えようしてくれている 私がやらなければならない事は決まっている 「新見はお前に殺されたんじゃない」 「何を仰っているんですか?一体どういう事ですか?」 確かに新見は私が斬った 「あの日、新見は、命を受けて赤沢を着けていた…」 新見の意思で赤沢を狙った訳では無い? 「新見は…新見は、芹沢に赤沢を殺せと言われていた」 何故…何故、芹沢が赤沢を… 「赤沢は間諜だった…僅かに浪士組の情報を流しては長州から情報を得ていた」 「まさか…流していた僅かな情報とは」 「芹沢の情報だ」 「だから赤沢さんは狙われた?」 「そうだ…でも、あの男は今も生きている」 「………野口殿、誰に何を言われたのですか……」 私はしっかりと野口の背中を掴んだ 「赤沢を消せと」 野口は私の首に腕を回してこれでもかと言わんばかりに顔を髪に押し付ける 「誰に」 「芹沢…鴨」 耳に涙が伝い 嗚咽が漏れ熱い吐息を首に感じた 大人だろと男だろうと関係無い 死とは恐ろしい 現し世浮き世畜生道 どんなに蔑む世だろうと命が有れば明日は分からない その可能性すら喪う死とは 地獄そのものなのだろう
/554ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5136人が本棚に入れています
本棚に追加