文久三年【夏之壱】

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    私はわざと刀を反した 八千流の刃で受けとめると下手をすれば野口を新見の様に刀ごと切断する羽目になる峰を野口に向けて構える 分かっているが自分に刃を向けているのだ押し負ければ私の胴体が両断される 昼間の蓄熱の所為か夜風は温く肌を湿らせる 気持ちが悪い 何かの予兆の様に月が翳り闇を頭から被った カシャァン!! キュイ!!!! 野口の刃を峰で受け止める為に気味の悪い音が断続的に響く ギリギリと音を立てる度に野口の刀は歯零れをしている 普通の打刀が蛤刃の峰を相手に競り合って無傷な訳が無い 背後は既に前川邸の隊士達が駆け付け息を飲んでいた 「野口殿、これが貴方のお覚悟ですか?」 「っ!!黙れ!!私は非凡なお前とは違う!!力も刀も何もかも己を守る事にしか使って来なかった!!それがこの様だ!!」 「それの何が悪いのですか!!」 「何が悪いだと!?見てみろ!!今こうしてお前が目の前で刀を握っている!!此れの何が良いのだ!!最後が命だ!!もう誰かの為に奮ってやれるのが命しか無いんだ!!」 「あるではないですか!!何故分からないのですか!!」 私達は刀を交えたまま至近距離で怒鳴り合う隊士達は何も言わず何もせず私達をしっかりと見つめる 「無い!!これが最期だ!!私は何も持っていない!!」 私は哀しかった、七日前の晩 悔しくて悔しくて堪らなかった、私の所為で人が一人死に追い込まれた こんなにも実直で穢れない人間が何故幸せになれない 私は歯を食い縛って八千流の刃に胴体を押し付ける 野口が僅かでも刀を引けば私は袈裟懸けに斬り落とされる それでも退く事は出来なかった
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