文久三年【冬之壱】

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    神無月は僅かな晴れ間を見せただけで冬を迎える 朝方は霜が降り、雨はいとも簡単に雪に変わった 今日は朝から雪が降っていた 昼過ぎには池に氷が張った 夜には庭一面が真っ白に染まった 左腕を擦っていた右手は静かに床に落ちた ゆっくりと ゆっくりと 傾く肢体 トサッ 「……本…庄…」 野口健司の腕に収まったその体は吹き込む雪に濡れ体温は無かった 凍える寒さの中、震える事すらしなくなった体に宿るのは風前の燈となった命と未だ汚せぬ誠だけ 「本庄…分かるか?」 野口健司は寒さと恐怖と怒りと腑甲斐なさが全てない交ぜになり口元が震える 静かに問い掛けた言葉に返事は無い 「本庄…本庄……なぁ、聞いてくれ…私はな、私はお前をこんな風に死なせる為に此処へ戻そうとしたんじゃない」 何ヵ月振りに抱き締めた体は信じられない程に小さく痩せていた 「私は、お前に笑って欲しかったんだ…芹沢の傍にいた半年、お前は只の一度だって笑わなかった…いつも気を張り詰めて芹沢の向こうに餓鬼を見ていた」 小さな手と足は木枯らしに曝され真っ赤になり赤切れで血が滲み真っ白な雪に染みを作っていた 赤切れで血が滴り落ちる程になっても本庄祿は其処を動こうとしなかった 「本庄…何で私が今までずっと黙ってきたか分かるか?……前にも言っただろう、私はお前を信じている、お前が信じた餓鬼だからこそ私は何も言わなかった…だけど……」 ポタリ…ポタリと本庄祿の頬に落ちた雫は温かった
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