文久三年【冬之壱】

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    「本庄、部屋へ戻ろう」 野口健司は本庄祿の涙を拭くと未だ何かを伝えようと口を動かすその小さな唇をそっと手で覆った 「駄目だ、聞けない…もうお前のお願いは聞いてやれない、頼む勘弁してくれ」 野口健司は分かっていた きっと自分は今なら本庄祿が何を言いたいのか分かってしまう、分かってしまったら叶えてやりたくなる だから聞けない 本庄祿を小さな子供を扱う様に抱き抱え立ち上がる 野口健司の右肩に顔を押し付けてまだ何かを伝えようとする唇の動きが伝わる 「本庄、許してくれ」 自分の羽織で本庄祿を包み月明かりの無い冷たい夜を野口健司は泣きながら歩いた 部屋に着くと本庄祿には既に意識が無かった 何度意識を失った本庄祿を抱き抱えて凍てつく夜を歩いたか分からない それでも、止めなかった自分にも非はある だから今夜を最後にと決めた 障子を締め火鉢を寄せ柳行李から着替えを出す そろそろ、この作業にも慣れてしまった 初めて見た時は息を呑んだ いくら刀を握っていても本庄祿は女、体を見ないように後ろから着替えを掛けてから着物を脱がした その時だった、手慣れぬ作業に着替えが本庄祿の肩から滑り落ちてしまった その曝された背中は美しい程の白さにも関わらず目を覆いたくなる様な数多の傷跡 真っ赤に血の昇った顔は一瞬で青冷めた 傷跡はまだ新しいもので、顕らかに骨が折れて自然に繋がってしまった跡がくっきりと浮き出ていた こんなに傷だらけになってもまだ足りないのか 一体何が足りないのか 何故、自分が傷付く事を厭わないのか 全てが本庄祿の誠である他は何でもないのだ ただ、それだけ 早阪透が本庄祿の誠である 本当に、ただ…それだけ
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