文久三年【冬之肆】

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    早阪の言葉に我を忘れ走りだした 部屋は二階で湯殿は一階 階段を駆け降り湯殿に着くと無人の証に戸は開け放たれ中は薄暗かった 「あの馬鹿…」 自分の命が分かっていても全く気を遣う気が無い様にすら思える でも、実際は他の…早阪や今回の私の事などでそんな暇が無かったのだと自覚する 二階から階段突き当たりの湯殿迄は誰も居なかった 湯殿を通り過ぎ廊下を歩くと中庭に出た 月明かりが澄んだ夜気に眩しくて でも、吐息を一瞬で氷結させるような寒さは粉雪を誘う程だった 確か、本庄の故郷、越後等北の方では雪を六花と呼んだり波飛沫を瑞花と呼んだりすると昔、誰かに聞いた気がする 中庭の真ん中が見える所まで来て私は足を止めた 六花、雪の形が花に似ている事からそう呼ばれた美しい別称 寒月より舞落ちる純白の花を手に取ろうとする本庄が まるで、自ら天に手を差し伸べている様に見えて私は裸足のまま庭に降りた 「風邪を引くだろう」 私は本庄を抱き上げると裸足の小さな白い足を軽く払った 「…野口殿だって裸足です」 前から思っていたけど本庄は軽い 「五月蝿い」 小さな子供程度しか重みは無く体温も低い 「降ろして下さい」 身長は沖田とあまり変わらない所を見るとそこら辺の町娘に比べて高い 「断る」 こうして本庄に触れると安心と不安が一緒に押し寄せる 「私は怒ってるんです」 生きている実感といつ迄続くと保証の無い残り僅かな温もり 「お前に逢いたかった…」
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