文久三年【冬之肆】

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    「いやです…何も言わずに居なくならないで下さい……もうあんな想いをするなんていやです」 本庄の右手が強く私の着物を掴み顔を押し付けた右肩が少し濡れた 小さな嗚咽は痛々しく自分がどんな浅ましい事をして本庄を傷付けたのか思い知る 「済まなかった…本当に済まなかった」 「離れて行かないで下さい…」 縁側に座り震える細い肩を支えて頭を撫でた そう言えば、八木邸にいる時、たった一度だけ泣いた本庄をこうして抱いた事があった 涙を流してもまだ何かを我慢している様な苦しそうな小さな小さな泣き声 私が泣いている訳では無いのに、胸が潰れてしまいそうな位、悲しい泣き声 「本庄…お願いだ、私の前で何かを我慢するのは止めてくれ、お前の泣き声は寂しい…私じゃお前の悲しみを払ってはやれないのか?」 私の言葉に本庄は顔を離して私を見上げた 大きな瞳は涙を一杯溜め 頬は寒さの所為か青白い 「本庄…お前はいつだって泣く事を我慢してきた、私はお前の傍で見ているだけだった…これからこの先ずっとそんなお前の泣き声を聞くなんて私には堪えられない…誰かに見られたくないなら私がお前の泣き声を守ろう、私にも見られたくないなら、こうすればいい…」 私は持ってきた羽織ではなく自分が着ていた羽織を脱いで本庄の頭から被せて引き寄せた 背中に右腕が回され胸に顔を押し付けられ羽織の中から小さな子供にも似た泣き声が少し聞こえた 小さな子供は我慢を知らない 自分を抑える事もしない 本能のままに感情を剥き出しにする 廊下に置き去りにした人の温もりが無い羽織を手繰り寄せ自分の肩に掛ける 「ただいま…ありがとう本庄」
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