文久三年【冬之伍】

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    私は八千流を腰から抜くと目の前に立てる 徳川家茂も又同じように刀を目の前立てると室内全員がそれに倣う 『金打』 チャキン… 金打…それは武士にとって一種の誓いを建てる意味を持つ それから私は土方さんと隣り合わせに部屋をあてがわれ城に留まった 夜、一人になって今の時代を思い起こした 文久三年、何もかもが遅過ぎた 幕府により日米修好通商条約が結ばれた為に朝廷と攘夷論で幕府はアメリカとの板挟みに遭い一度は攘夷を誓っていた でも、水戸藩や尾張藩、福井藩の反感を買って前の大老井伊直弼が安政の大獄をやってしまった 仕返しと言わんばかりに朝廷は戊午の密勅を水戸藩に出し安政の大獄に拍車が掛かる まるで子供の喧嘩と言わんばかりにやられたらやり返すの繰り返しで桜田門外の変により井伊直弼は殺害されている 現在、既に将軍後見職に一橋慶喜が付き和宮降嫁で公武合体に進んでいるとは言え幕府は完全に衰退を通り越し倒幕への下り坂を転がり始めている せめて、安政の大獄の前ならば十本刀と家茂自身の力で井伊直弼を止められていた まだ間に合うなんて言ってみたものの正直、安政の大獄以前に先代藩主徳川斎昭から登城を禁じられている水戸藩主の怨恨は凄まじい 烈公を叩き込まれた徳川慶篤を落とすのは難しい 何故、そこまで攘夷論にこだわるのか分からない訳ではないが水戸光國の造り上げた最初の水戸学の教えに攘夷は無い 簡単な事だ、日本で最も血統の誉れ高きは天子か徳川…徳川の血に生まれても宗家でなければ御三家も霞む水戸、ならば内裏の御簾を上げてやる役を仰せ支えば水戸は御三家のどの家より高く在れる 水戸学とは皇統を正閏し、人臣を是非し輯めて一家の言と成す 概念に捉われず独自の判断を史上の人物に下す事が出来たという自信の表明であり 君臣上下の名分は天と地が変わらないのと同様不変であるべきで、これが確立して初めて社会の秩序を維持する事が出来ると言う尊王思想の教えだ これを先代水戸藩主徳川斎昭は巧く掲げ本来日本の在るべき姿を広めた 独自の判断とは尊王 史上の人物とは将軍 王(君子)を尊び(重んじ) 夷(外国)を攘う(退ける) 尊王攘夷が成り立った 何ともご立派だ
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