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その日は、ある志士との会合で輪違屋に来ていた。
大座敷を貸し切って何処かの武士が宴会をしているらしい。
会合が半ばになると偶然部屋の外を通りかかった客の話が耳に入る。
「輪違屋に来れるとは思わなかったな」
「あぁ、近藤局長も本庄には頭が上がらんのだろう?」
近藤局長…
部屋の空気は凍り付き、息すら吐けぬ程だった。
廊下の客が失せるとある志士は口元を震わせ声を潜めた。
「吉田君…夜は今日限りではない」
「…えぇ、そうですね」
正面に座っていた商人風情の志士は私の背後の襖を開け部屋を後にした。
正直、好機とも思えた。
私は酒は飲まない。
今なら、高杉を呼ぶ事も出来る。
しかし、私はそうしなかった。
僅かに一つの疑問が頭を掠めたからだ。
本庄…
京に来て町で何度か聞いた名前。
新撰組に密偵を入れ調べたが素性の知れぬ人間。
近藤の頭が上がらない相手。
それだけで、最悪の事態にまで想像が出来るならば、これは好機ではない。
最悪の危機だ。
本庄と言う名しか知らぬ相手に興味はあった。
寧ろ、たったそれだけしか知らぬ相手を恐れた自分に驚いたくらいだ。
一度抱いた興味は自らの命を天秤に掛けるまでもなく、私をこの部屋に居座らせた。
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