元治元年【春之八】

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    道中、一橋は一度だけ中条の娘を問うた。 「あの女、死ぬのか?」 「女?……あぁ、中条の娘の事か…死ぬだろうな」 「そうか」 一橋が何故そんな事を問うたのか等に興味は無かった。 ただ、この男が他人に興味を示した事には興味はあった。 この男にとって江戸城は座敷牢と変わらない。 憎んでいるのだ、 水戸共々江戸を… 一橋にとっては慣れない長旅ながらも早い段階で京に入る事が出来た。 若さ故ならば褒めるに値しない。 儂にもそんな年の頃はあった。 ただ、少し長く生き過ぎた。 長く生き過ぎた所為か、沢山のものを見過ぎた。 見なくてもいいものさえ見てきた。 見たものが自分の糧に成らなければ、この歳まで生きた意味は無い。 そうでなければ、儂でさえ悔い悩み哀しいと言う感情くらいはある。 京の町まで入ると僅かな異変を感じた。 昔来た時と空気が違う。 もう四十年以上前だ、町並みや店が変わるかも知れないとは思っていたが、それは無かった。 古い暖簾、青錆の看板、腰の曲がった大旦那。 四十年以上前、確かに彩り輝いていた。 「そ、め?…初!…初太郎!!」 「ん?……ん?」 堅気の人間とは思えない悪人面な上、仕事中に負った右頬の傷が年季を増して拍車を掛けている。 「儂が分からんか!」 「旦那、馬鹿を言わんでくだせぇ…あっしの既知に仕込み刀の杖突いた奴ぁ居らんでさぁ…」 「何?」 「あっし等にはそれ一つで充分でさぁ」 初太郎は眉間に皺を寄せ真っ直ぐに儂の胸を指差す。 拳銃の入った懐を。 「刀鍛冶が何馬鹿言ってやがる」 「そんな詰まらん鈍持って等々老いぼれたか永嗣、鴨川を三途の川変わりに使うんじゃねぇぞ」 「相変わらず厭な野郎だ」 鈴木初太郎、儂の居らんくなった雑賀衆を束ねた男。 雑賀孫市だ。
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