元治元年【春之八】

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    「お江戸かぶれの東夷がこんな京くんだりまで何しに来やがった」 「狩場にうってつけでな」 「今すぐ帰ぇれ」 初太郎は一瞥くれずに暖簾を潜った。 「…初、悪かった……達者でな」 儂は初太郎を呼び止める事もせずに店を後にした。 雑賀孫市と言う苦労を初に全部背負わせ儂は江戸へ行った。 雑賀孫市は雑賀の孫市と言う意味で姓ではない。 雑賀の鈴木一族の当主が代々継ぐ初代鈴木家当主の名前が孫市なのだ。 雑賀を拠点に数多の戦場を渡り歩き、一夜に一国を蜂の巣にした事も数知れず。 まるで死体に群がる烏の様で… 目を付けられた地は亡国と化す。 今更、言い訳は出来ない。 妻であり初の姉、藤を死なせ我が子、志摩を残し江戸へ行った儂を初は認めない。 「志摩ぁ!!今日は打水したのかぁ!!」 「え?おぉ!今する!!」 馬鹿でかい声に二件先まで来ていた足が止まる。 志摩… 振り返ると五十近い男が店先に桶と勺を持って出てた。 「親父、俺がやるから入ってろよ」 後を追うように二十過ぎの男が出て来た。 「永治郎…じゃぁ頼んだぞ」 志摩は儂が二十の時の子だった… もう四十八…か 背格好は儂と似てる。 儂には…孫もいたのか、目元が藤に似ておる美丈夫だ。 もう四十三年… まだ五つだった志摩は儂を忘れてしまったんだな。 それでも、初には頭が上がらない程感謝した。
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