元治元年【春之八】

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    賑やかな通りをぼんやりと歩いた。 何十年も昔を遡った。 藤が笑っていた。 志摩は竹馬が好きだった。 初と儂は馬を奔らせ… 沢山の花と山と川の幸を籠に詰め込んで村に急ぐ。 藤は花が好きで… 淑やかな優しい女だった。 強く、気高い立派な雑賀衆だった。 でも、死んだ。 藤は、死んでしまった。 まだ二十五だった… 「まだ…二十五…だったんだ…まだ……まだ…」 人混みの中、儂の脚はとうとう止まった。 「家族か」 「藤は、志摩を…抱えたまま…」 「………徳川、か」 儂の中で……進んではくれないんだ。 どうしても…どうしても… あの日から、藤が、年老いてくれないんだ… 何故? 何故、儂ばかりが生きているんだ… 家族か徳川か… 一橋の言う通りだった。 何故、藤が死んでしまったのか分からない。 違う、死んじゃない。 殺されたんだ。 心の臓を一貫きにされ、殺された。 どんなに調べても、どんなに探しても… 藤を殺した奴は見付からず。 江戸から召喚が届いて儂は志摩を残し雑賀を発った。 雑賀衆頭領 雑賀孫市 基 鈴木孫市永嗣殿 貴殿を 第十二代徳川幕府御側御用取次方 に命ずる 《おい、親父殿はどうしたんだよ!!なぁ藤姉さんが死んだのに行くのかよ!!志摩は!!志摩はどうすんだよ!!まだ五つだぞ!!》 《鈴木孫市宗平…享年四十九………親父も、死んだ》 《え……》 《…俺…行かなきゃ》 《永嗣!!おい!!待て!!永嗣!!永嗣!!…志摩はまだ生きてんだぞ!!お前の家族だぞ!!永嗣!!!!》 「…恐ろしかったんじゃ…志摩まで喪ったら……そう思ったら………振り返れなかった」 「あんたが家族を棄てなかった証だ」 あの日、流せなかった涙が四十八年も掛かって、やっと零れ落ちた。 家族を守りたかった。 藤が、その全てを懸けて守り遺してくれた志摩を守りたかった。 だから、狗となった…
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