元治元年【春之九】

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    目の前に立ち止まる鈴木に普段気付きもしない感情と人の視線を感じた。 同情よりも憐れだと… 視線は私が辿っていいものではなかった。 奥方と先代を亡くした理由を私が判るはずも無いが、きっと鈴木にどうこう出来た様な理由でない事は分かった。 細い杖を握り締める手の皺がやけに目に焼き付き、鈴木が口にした四十三年が小さく見えるその背中に重く鉛の様にのしかかる。 「行こう」 その時、唯一私に出来たのはせめて鈴木が辿った四十三年に足を止めぬ様に静かに背中を押してやる事だった。 同情等と言う馴れ合いの様な傷を舐め合う関係では居られない。 もとよりそんな物は求めてはいない。 ただ、共に歩むと古より誓い合った… 動かぬなら互いに引き合いながら歩まねばこの国は止まってしまう。 狗…鈴木達は自らをそう呼ぶ。 先日、家茂は私に言った。 十本刀は民だと… 今日まで…いや、この瞬間まで奴等は道具でしかないと。 しかし、家族を思い涙する老人を誰が民とは違うと言えるだろうか… 民とは国の礎 十本刀も又、礎 同じ民 家族を思う民達だ。 《一橋殿、鈴木永嗣と共に京へ行って頂く…しかと見届けてくれ》 家茂はきっと鈴木の息子が京にいると調べを付けていたからだ、私には何を見届けるのか分からなかった。 だが、あの十も歳が下の子供が見届けろと言った本当の意味を私はまだ理解しきれていなかった。
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