元治元年【春之九】

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    住職は鈴木と私に座る様に促すと小さな溜息を漏らした。 「芹沢鴨を御存知ですか?」 「いや、知らんな」 「私も知らない」 「元新撰組筆頭局長です」 「元?確かに先ほど近藤と言う男が局長として紹介を受けたが、元とは?」 「仔犬が噛殺してしまったんですよ」 「なんだと!?」 「筆頭局長、局長諸共総勢五名内一名は芹沢の女です」 住職は視線を庭石から動かさず、言葉とは裏腹に穏やかな表情で話した。 「何故だ?」 「さぁ…知りません、ただ仔犬は怖かったんではないですか?」 「…そうか」 私には全く理解が出来なかった。 ただ、仔犬と言うのが中条資春の事だと言う事以外は。 「もうそろそろですかね…」 住職は徐に立ち上がると草履を履いて庭に下り、庭の一番左端の垣根を少し掻き分け、その向こうを覗いた。 この寺院の入り口に着くまで三十段近くの石段を上った為に少し高台にある所為か、垣根の向こうは無く、大分下に通りがある位だ。 住職は何かを確認すると、此方へ戻ってきて、垣根の端へ鈴木と私を促した。 鈴木は少し唸る様に喉を鳴らすと戻って行き、私は入れ替わりで垣根を覗いた。 見えたのは 中条資春と浪人風情の男三人が話している所だった。 耳を澄ませば会話は聞こえなくとも声音は僅かに確認できた。 長州藩士だ。
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