元治元年【春之拾二】

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    あの日、師匠は久々に俺の前で泣いた。 俺が幸人と寺の住職と一緒にリンチ喰らった時以来だ。 師匠は声を上げて泣いた。 《負けてしまうのが、怖い》 《強く、なりたい…》 師匠が、そう言って、泣いた。 俺が知る限り、日本中ドコを探したって師匠より強い奴なんていない。 俺は言い切れる。 師匠は強い。 誰より強い。 誰より… 誰より強いと思っていた。 でも、師匠はずっと何かに怯えていた…ずっと、ずっと前から。 それに気付いたのはこの“江戸”って時代に来てからだ。 突然、師匠が小さく弱く見えて…俺は、初めて師匠に不安を感じた。 師匠が、どんどん変わっていく… 師匠だけが、変わっていく… 俺は、ゆっくりと杖を付いて向かってきた爺さんの目を見れなかった。 今まで、俺が生きてきた“平成”の時代にあんな目をした人間は見た事無かった。 咄嗟に、 逃げなきゃ… そう、頭で理解したんじゃない。 身体が命を守ろうとして瞬間的に足を引いた。 膝が笑って、手足の末端から順に体温を奪われた。 殺される。 生まれてこの方、こんな感情を抱く日が来るなんて欠片も想像していなかった。 師匠はずっと、こんな世界にいたんだ… 俺を守る為に、あんな目をしてきたんだ… そしてずっと、そんな目している自分に怯えていたんだ。
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