文久三年【梅雨】

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    宴会の後、八木邸に行き芹沢一派が戻るのを待ち、翌日の昼に芹沢は女を連れて戻ってきて一番奥の部屋を使えと言われた。 それから殆ど軟禁状態が続き、八木邸から出たのは僅か二度程新見と平山の遣いで真夜中の島原へ行ったきり昼間外に出る事は許されなかった。 気付けば三ヶ月が過ぎ水無月半ば梅雨入りしている。 他の隊士と一切口を訊く事も無く近藤一派が拾ったと私に近付きもしなかったが芹沢は違った。 昼間八木邸に居る時は女が一緒だろうと常に私を傍に控えさせ袴や着流しを寄越した。 一番驚いたのは刀を持たせた事だった。 私は刀を土方さんに預けたまま八木邸に来た為刀を持っていなかった、すると気付いた芹沢は私の新しい刀を誂えた。 それも則宗に負けず劣らずの名匠堀川一派の…堀川物だ二尺八寸の打刀にしては長刀に分類。される 新刀と言われ一昔前の名匠で身幅が広く反りも深い、切先が伸び見目は立派 刃は多彩でこの刀は志津風の互の目乱れで帽子はやはり小丸 珍しいのは信じられない事に鎬に梵字が彫られている事だった。 普通は茎に入れるのに刀身に入っているのは初めて見た。 値を付けるなら京で丸三年くらいなら豪遊出来るだろうか… 一体何処から手に入れたのかは私は知る由もないが、新見は何度も止めたが芹沢は私に刀を持たせたのだ。
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