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足元に置かれた大量の洗濯物。
俺はしばらくボケッとしていたが、どうしようもないので頼まれた通りに洗濯物を畳んだ。
母さんは今日が俺たちの誕生日だという事を忘れているんだろうか。
きっとそうに違いない。
でも最後には「おめでとう」と言ってくれるはずだ。
確信というより、そうであってほしいという希望の部分がほとんどだった。
洗濯物を箪笥にしまうと、父さんが帰ってきた。
いつもは夜の十時を越えてから帰ってくるのに、この日だけは早かった。
「父さんっ、おかえりなさい」
俺は玄関の父さんの元へ急いだ。父さんは俺を見て、一瞬だけ嫌そうな顔をした。
「……ただいま」
絞り出すように呟かれた言葉に、父さんは疲れているんだという事を理解した。
けれど、「おめでとう」だけは直接言って欲しくて、俺は意を決して父さんに話しかけた。
「父さん、あの」
「悪い、私はまだ仕事があるんだ。話はまた後でな」
「す、すぐ終わるから!だから待っ」
「……待たない。私は部屋に戻るぞ」
「あ、待ってよ」
俺はそう言って、部屋へ行こうとする父さんの袖を掴んだ。途端に、その手は振り払われる。
「ひっ!!」
顔を上げて、静かな怒気に思わず悲鳴をあげた。
いつもはにこりと笑ってくれる父さんの顔には表情が無く、ただ冷めた目で俺の事を睨みつけていた。
「……今日はしつこいぞ、凪。なにがあったかは知らないが、今日はお前の相手をしている暇はないんだ。分かったらさっさと部屋に戻りなさい」
静かに、ただ静かに言葉を呟いているが、その節々に見え隠れしている本気の怒り。
今まで見たことのない表情の父が自分に怒りの感情を向けている。あまりの恐さに身体がガタガタと震えだした。
なんで?どうして?
父さんが疲れているのを分かっててしつこかったから?
だからあんなに怒った?
俺は、ただ「おめでとう」と言って欲しかっただけなんだ……。
後悔しても、もう遅かった。
後に残ったのは、父への恐怖と振り払われた手にじんわりと広がる痛みだけだった。
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