傷痕

18/23
前へ
/272ページ
次へ
 それはこいつの小さな願い。  こいつの最初で最後の我が儘だ。 「テストで百点とって、それを母さんに見せた。  父さんは忙しいから、せめて母さんだけでもって思ったんだ。  でも、母さんは悲しそうな顔だった。  嵐の部屋で「嵐も学校に行けたらいいね」って、泣きながら呟くから、もうテストを見せるのは止めた。  次は、運動で一番になった。  その話を嬉しそうにしたら、母さんが目の前で泣き崩れてさ。 「嵐、ごめんね、ごめんね」 って、繰り返してた。  本当は、そんな顔させたくなかったのに。  ……俺の我が儘のせいで、母さんの笑顔が消えたんだ。  我が儘を言わないから。  困らせないから。  甘えないから。  もう何も言わないから。  だから、少しは俺を見て。  見てなくても、俺を忘れないで。  ……一人に、しないで。 そう思った。」  だからこいつは嘘をついた。  世間にも、自分にも。  この話は、前もって弟から聞いていた。  その時俺は、怒りに任せて弟を怒鳴り付けた。 「なんでそこまでわかっていて、兄貴を助けなかった!」 と。  弟は何も言わなかったが、今考えれば無理な話だ。  なにせ、弟はその頃身体が弱すぎて、ただの風邪でも生死をさ迷うほどだったらしい。  自分が生きるか死ぬかという時に、兄を構っている暇などなかった筈だ。
/272ページ

最初のコメントを投稿しよう!

876人が本棚に入れています
本棚に追加