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父だった。
「大丈夫か?」
突っ伏したまま、僕は頭を縦に動かした。
「父さん。父さんは大きな商談の時、何を考えているの?」
父は一代で会社を築き、大勢の社員を雇い、その社員たちの家族の生活が父の肩にかかっていると言っても過言ではない。
父はその重大なプレッシャーを、どう乗り越えているのだろう。
「色んな事を考えている。商談の内容については勿論だが……。この社長はヅラだな、とか。ひとっ風呂浴びて、ビールを呑みたいだとかな、そういう時に限ってしょうもない事を考えている」
「そういう時、母さんを思い出すことは?」
「よほどのピンチの時だけ、思い出す」
「そっか」
僕はなんだか心が軽くなったような気がした。
無理に彼女への雑念を払わなくても良いのだと、父の言葉を聞いて感じた。
「榊さん、お願いします」
時間になり、係員が呼びに来た。
僕は座ったまま大きく伸びをして肩に手を当て、首を回した。
さぁ、出番だ。
「わかりました」
先導に従い、ピアニスト榊 揚羽の登場を拍手で待ち受けるステージへと一歩、僕は踏み出した。
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