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走り出したマイクロバスの車内は、少し暑かった。
エアコンは停車している時から稼働していたのだが、その時感じた適温は、車体が日陰に入っていた故のものだったのだろう。
走行中の現在は、窓から射す日差しがもたらす熱によって、体感温度がかなり上昇しつつある様に思う。
私の気持ちを代弁する様に、隣りに座った男が声を上げた。
「ああ、石坂さん! もう少しエアコンの温度は下げられますかね? 私だけかも知れないが、石川県の気候は実に汗ばむ様だ」
「すみませんお客さん、これでも一番涼しくしてあるんですよ」
石坂が、男の言葉に大声で答える。
「そうか、なら仕方が無いね。それでは、心頭滅却に努めるとしよう」
不思議な物言いのこの男に、私は少し興味を抱いた。
良く見ると、先程プラットホームで電話をしていた男の様だ。
黒いスーツに黒いネクタイ。真夏の旅行客にはまるで見えない出で立ちで、その男は額に浮かんだ汗を袖口で拭っている。
彼はその後、両手を変わった形に組み合わせて、目を閉じてぶつぶつ呟き始めた。
その光景に興味を持ったのは、私だけでは無かった様だ。
車内にいる全ての乗客が、不思議そうに彼を振り返っている。
良く見ると、運転席の石坂までもが、バックミラー越しに後部座席の様子を伺っている風に見えた。
老夫婦は怪訝な顔で。
若い母親は不思議な顔で。
中学生の兄妹は変人を見る様に、その母親は、『あまり見るな』と諭している風にも見える。
唯一、その兄妹の父親らしき人物だけが、その光景に笑顔を送っていた。
やがて男の念仏は最高潮に達し、一際高い奇声を上げて我々を驚かせた。
「きぇぇーっ!」
かっと両目を見開いた彼が、ゆるりと口を開く。
「……やはり、暑いもんは暑い」
車内が笑いに包まれる。
私も、何がなんだか解らぬまま、釣られて笑った。
中でも、兄妹の父親が一番笑っていた様に見えた。
その彼が、男に声を掛ける。
「今の呪文、俺知ってますよ」
「おお! 御存じでしたか。しかしやはり、心頭滅却するには修行が足りなかった様です」
二人の会話を掻い摘まんで聞いてみると、どうやら昔の特撮ヒーローが傷を癒す呪文を唱えていたらしい。
同年代に見える両者は、私には理解出来ない話題で、さらに盛り上がっていた。
老夫婦と若い母親は、興味を失った様に、再び前を向いていた。
私も、会話を聞きつつ、視線を前に戻した。
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