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BAR「夢現」
夜の繁華街の入り組んだ路地の一角にある店だ。
カウンター席の一番奥で,長い髪を真田紐で結った精悍な顔つきの和服姿の男が,一 人グラスを傾けている。
年の頃は20代後半といったところか。
時刻は午後6時30分。
客足が伸びるには若干早い時間だ。
男は誰かと待ち合わせをしているのか,カウンターの上に置いた腕時計の指す時刻を目で追っていた。
グラスの中のカクテルを飲み干すと,同じものを頼む。
カウンターの中のバーテンダーがシェイカーで酒を造り,新しいグラスに注ぐと男の前に差し出した。
丁度そのとき,BARの重たい扉が開き,真っ赤なドレスを着た艶やかな女性が風と一緒に店の中へと入ってきた。
「……ごめんなさい。待たせてしまって。」
女性はそう良いながら男の側に近づくと,男の隣の席に腰をかけた。
「ふふふ。ジン・フィズね。変わらないわね。」
女性は男にそう言うと,バーテンダーに同じものを注文する。
再びシェイカーで酒を造り始めたバーテンダーの手つきを眺めながら,女性は男に話し始めた。
「……不思議ね。ここに来るまでの時間は,とても怖かったのに……。こうしてあなたの顔を見ると,とっくに忘れたと思っていたあの頃の気持ちが甦ってくる。」
バーテンダーが女性の前に注文の酒を置いた。
「ジン・フィズでございます。」
「ありがとう。」
女性はグラスに口をつけた。グラスの縁に口紅が残る。
「……ねぇ,司。あの日,なぜ私たち……いえ,私の前からいなくなってしまったの。いったいどこに行っていたの。」
司と呼ばれた男は,グラスを右手で回しながら,氷が溶けていくのを無言のまま見つめていた。
「……また何も言ってくれないのね。」
「……今夜はアイツの引退試合だ。」
「えっ。」
「テン,行くぞ。試合が始まる。」
「もう!強引なのは相変わらずなんだから!」
司は勘定をカウンターに置くと立ち上がり,店の出口へと歩き出した。
テンと呼ばれた女性は,司の後を追う。
BARの重い扉を開けたまま,司はテンの来るのを待っている。
「何年経っても,こういう所は変わらないのね。」
司とテンは店を後にし,夜の繁華街を彷徨う人々の群れの中を抜けていった。
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