第一章 ロイヤルミルクティーとスコーン

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 ヒカリは持参した小説の表紙を開いた。ヒカリが今最も好きな作家のものだ。学生だった頃、現実の辛い出来事から心を救ってくれたのは、唯一本だった。一ページ、また一ページと読み進めるうちに、頭の中は物語の登場人物の事でいっぱいになり、いっそこのまま物語の中に留まり、抜け出したくないとさえ思ったものだ。そして社会人になった今は、このカフェが新たに心の拠り所に加わった。  このカフェに出会ったのは、今から二年ほど前だ。短大卒業後、ヒカリは製菓会社の契約社員になった。製菓会社に直接雇ってもらってはいるものの、実質待遇は良くない。この不況の世の中、当たり前の事だった。  その製菓会社の工場の現場で見たものに、ヒカリは軽くショックを受けた。そこには、怠惰な大人の諦念と、子供よりも大人気ないエゴが充満していたからだ。  ヒカリは新たに安息の場所を求めた。社会に出て二年ほど、その間一度だけ有給休暇を取った事がある。どうしても仕事に出たくなくて、ようやく取った休みだった。しかしどうしたことか、許可を得て仕事を休んだというのに、『仕事を休んでしまった』という罪悪感がヒカリを襲った。いてもたってもいられなくなり、有給を取った日、家賃の安いボロアパートをヒカリは飛び出した。
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