2094人が本棚に入れています
本棚に追加
乱入者のリヒノフスキーは放っておいてリハーサルを続ける。
ダイゴは、リヒノフスキーという世界的なヴァイオリニストの突然の登場にかなり驚いたみたいで、再開当初はピアノがちょっと浮き足立っていたけれど一分くらいで平常心に戻った。
ヴィエニャフスキーの『伝説』という曲を弾く。
この曲はヴィエニャフスキーが若かりし頃、彼女との結婚を彼女の父親に認めさせるために書いた曲だ。
彼は演奏会に彼女の父親を招き、この曲を聴かせて実際に結婚にこぎつけた。
非常にロマンティックな話ではあるけれど、演奏会というのは彼女の父親以外のお客さん達が高いチケット代金を払って成り立っているものだから、ある意味公私混同も甚だしい。
と結婚前、アヤの気を引くためにさんざん公私混同してきた僕は思う。
でも曲は素晴らしい。
すごく単純な作りの曲だけど、特に中間部分は「音楽を聴いて幸せな気分になるってこういう事なんだ。」という事を実感させてくれるくらいに良い曲だ。
中間部。
朗々と歌う。
“幸せな空”を見上げるように歌う。
泣きそうなくらいに幸せになる。
「…。」
座席最前列で実際に泣いてるバカがいた。
リヒノフスキー。
「グスン、グスン…。」
どうしたんだ、こいつは?
「…。」
とりあえず話は後から聞くことにしてリハーサルを続ける。
「…。」
あれ?何か悲しそうだな。
お母さんとケンカでもしたのかな?
弾きながらチラリとリヒノフスキーを見る。
ルドが大股で彼の横にやって来て、彼の肩を抱きながらティッシュを手渡した。そして彼の口にチョコレートのカケラをこっそりと放り込む。
リヒノフスキーはちょっとニッコリとした。
さすがはルド。
飲食禁止のホール座席だからおおっぴらにはできないけれど、ヴァイオリニストを手なずける方法は知り尽くしている。
僕は安心をしてリハーサルに頭を切り替えた。
最初のコメントを投稿しよう!