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軒先の風鈴がちりりと揺れた。 うだる暑さの中。音ばかりの涼しさをと申し訳なさそうに鳴った風鈴に誘われて、網戸の外を見やれば。 照り付ける太陽の元で勢いよく蔦を伸ばした朝顔が、紫や薄紅色の花を咲かせていた。 いつぞや二人で忍び歩いた朝顔市。気まぐれで買った一鉢の朝顔は、毎年立派な花を咲かせては種をこぼし、今や庭の一角に猛々しく咲き狂う主となっていた。 「見事に咲いたもんだ」 「そうね、今年もまた良い薬が作れるわ」 広げた古新聞の上で武具の手入れをしていた女は、磨いていたクナイから目も逸らさずに答えた。 元は江戸城お抱えの隠密、くの一あがりの女にしてみれば、夏一番の風物詩であるはずの朝顔も単なる薬草のひとつに過ぎないらしい。 隠密者の性なのか元々の性格なのか、どうにも"遊び"に欠ける合理主義。 「相変わらず風情もクソもありゃしねぇ女だなァ」 「あら心外、風情ならちゃんと感じてるわよ。こんな可愛い花から毒が作れるなんてロマンチックだわ…って」 「…毒?」 「そう。朝顔の種はケンゴシって言ってね、とっても強力な下剤になるの」 ひとしきり磨きあげたクナイを陽の光に当てて眺める。 研ぎ具合に満足したのだろうか古新聞をくしゃくしゃに丸め、そして続けた。 「晋助も気をつけなさい、あんまり遊んでばかりだと毒を盛られるかもしれないわよ。腹を下してちゃ女遊びも出来ないでしょうから」 冗談なのか本気なのか、上機嫌の笑みを溢される。 我ながら厄介な女に惚れちまったもんだと思う。が、残念だったなァ。 「ククッ…悪ィが女遊びなんざする暇もねェくらいテメェを抱き尽くすつもりなんでな、せいぜい覚悟しとけや」 抱き寄せた首筋はじっとりと汗ばみ、胸の袷には香しい女の匂いが湿度と共に密に籠っていた。 甘酸っぱいそれに誘われ首筋を舐め上げれば、舌に伝う微かな塩気。 うだる暑さの中で絡み合わせる汗の一筋に身体はどこまでも熱くなる。 ああ、そうか。 毒なんざとうの昔に盛られていたのかもしれねぇなァ。 【END】 毒 venom 惚れた女の味は依存性の強い猛毒に他ならぬ
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