蜀軍出陣

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 諸葛孔明(しょかつこうめい) 蜀(しょく)<今の四川省>という国の、  丞相(じょうしょう)<日本で言えば総理大臣の様な仕事をする役職>である。 この頃中国は大きく分けて。    魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)と呼ばれる三国に分かれて覇権(はけん)を争っていた。 とは言っても、魏が圧倒的な国力を誇り。  他の二ヵ国を圧倒していたと言って良かった。 残り二ヵ国、呉と蜀は同盟を結び。  魏を倒そうとしていた、と言うのが今の状況である。 孔明は蜀と言う、三国の中で最も国力の弱い国を預かっていると言うところか? 孔明は国力を充実させつつ。兵を養い。  富国強兵(ふこくきょうへい)を行って。 いよいよ魏を討つべく決断した時には、    あの劉備(りゅうび)<蜀の初代皇帝>の死から4年が経過していた。 建興4年(226年)、二代目皇帝 劉禅(りゅうぜん)に 出師(すいし)の表(ひょう)を提出している。 そして、詔勅(しょうちょく)<皇帝の命令書>を受けとると、北伐(ほくばつ)の準備に入ったのである。 蜀と言う所は、 蜀の桟道(しょくのさんどう)<崖(がけ)に掛かった橋のような道で、崖側に手すりが無いような橋を想像すると分かりやすいか?>と呼ばれる 所を通行しなくてはならないほど険しい地域である。 その為に、守りやすいが、その分他国を攻めにくいと言う欠点があった、 孔明はその道を越えて、漢中城(かんちゅうじょう)に入り、 作戦指揮を自(みずか)ら執(と)ることになった。 孔明は諸将を漢中城に集めた。 孔明「この度(たび)、魏を討つべく北伐の時が来た! 諸将は全力を上げて戦っていただきたい。」 孔明「そこで諸将に作戦を説明する。」 孔明「まずは三隊に部隊を分ける、一隊は祁山(きざん)方面に出て、 敵を牽制(けんせい)し、 本隊は天水郡(てんすいぐん)より進み、 長安(ちょうあん)を目指す。 もう一隊は子午谷(しごこく)を進み、 同じく長安を目指す。これより陣立を伝える。」 孔明「陣立ては。」 ここで幾人かが異見(いけん)<ことなった意見の事>を出す。 まず、口火を切ったのは馬謖(ばしょく)だった。 馬謖 蜀の丞相参軍{参謀の事}の一人である    兄の馬良は、馬氏の五兄弟で一番優れていると言われる、 眉が少し白いため白眉(はくび)とあだ名で呼ばれていた。 その、馬良の弟である。 知識はあるが 応用が効かない人と思えばいいかもしれない。
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