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微かに覚えていたのは、夏の匂い。
遥か頭上から降り注ぐ強い日差し。
四方から聞こえる蝉の合唱。
そして、毎日一緒になって遊んだ小さな女の子…。
顔も仕草も声も、もう思い出せない程に記憶は風化しているらしい。約束したことなど既に忘却の彼方へと飛び立っていた。
「さっちん?」
「…悪い。ちっと思い出せねぇや」
自分の記憶力の悪さをこんなところで恨む事になるとは思わなかった。
だっていうのに沙織は微かに笑ってただ一言『気にしないで』と呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
その表情はいつも通りににこやかで……でも何故なのか違和感を覚える。
「怒らせちまったか?」
「ううん!子供の頃の話だし、仕方ないよ」
「悪ぃな…」
「気にしてないってば~!じゃあ、あたしもう帰るね」
窓(ガラス無し)を見れば夜空に浮かぶ月は大分高い位置まで登っていた。
これ以上引き止めるのはマズいか…。
「ああ。色々とサンキューな」
俺の言葉に手をヒラヒラさせながら沙織は我が家(という名の廃屋)から去っていった。
その姿を見送った後、ようやく夕餉に箸をつける。
こちらに来てから初の夕餉は。
「……………」
予想以上に味気ない気がした。
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