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美咲、というのが目の前に立つ女性の名だったのだろう…彼女は自身の名を呼んだ沙織の姿を目に認めると微笑んだ。
「ッ…!」
その表情に、思わず総身立つ。
まるで一枚の絵画から現れたかのような美しさと、年齢に不似合いな可愛らしさ。
下手なアイドルや女優ではこうはいくまい。
――知らない。
俺はこんな人は“知らない”。
視点が定まらぬ。呼吸は乱れ、汗は一気に引き……視線は彼女から外せない。
それは一目惚れなどの感覚とは違う。もっと間逆の。まるで、そう…。
「大丈夫ですか?」
「ぁ…?」
彼女、美咲さんの一言で我に帰った。瞬間、思い出したように吹き出した汗を肩で拭う。
「…ええ、大丈夫です」
落ち着け。
落ち着け。
落ち着け。
今の感覚は忘れろ。
今“見た物”は忘れろ。
……思い出すな…!
思い出せば、間違いなく俺の基盤は跡形もなく崩壊するという確信がある。
『何モ知ラナイフリヲシテ…』
そうさ。
そもそも、俺は…。
「さっちん顔色悪いよ?」
「……、大丈夫だって!」
わざと明るく言って、額の汗を拭う。
脂汗…。なぜ俺はこうまで取り乱したのか。免疫は少ないにしろ女性が苦手という訳ではないし、何より美咲さんは美人だ。
や、そこは関係ないか。
浮き足立つ心臓を鎮めようと大きく深呼吸をして、貰ったお茶を煽る。
……まったく、何だったんだか。
「それじゃ、今日はここまでにしましょう。みんなありがとね」
願ってもない。
汗もかいたし、これから川まで行くのもいいかもしれないな…。かもしれないんだが。
「……何だ?」
歩き始めようとした俺の裾は、右に沙織、左は七海が掴んでいた。
「どこ行くの?」
「や、川に行こうかな…と。つか服を放せ」
「私達も…汗かいた」
「お前らは家に風呂があるだろ?」
「「ない」」
「――――」
う、嘘吐くなぁぁぁッ!!あれか?自分達も連れて行けとかそういう振りか!?
「川遊びですか?楽しそう♪」
美咲さんまでニコニコしながらそんな事を言い出す始末。ってかまだ居たんですか?
俺を見つめる都合6個の瞳は『連れてけ』と語りかけてきて正直ウザい。
「はぁ……」
どうすっかなぁ…。
見上げた空はやはり蒼かった。
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