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「お兄ちゃん、朝ごはんーー!」
「ああ、分かったよ。すぐ行く」
元気な声に、今までの葛藤は何だったんだと問い質したくなるくらい簡単に、青年はそう返事をして窓際から離れた。
…まあつまりは、このせめぎ合いは毎朝の恒例行事だったという事だ。
…窓際を離れた青年は、すぐには階下に向かわず、机の上にあるバックに手を伸ばした。
青年は毎朝朝食の前に、学校に持っていく荷物を確認するのが日課だった。
「ん? あれ、生徒手帳がないな……」
荷物確認をして幾ばくも経たずに、青年はそう呟いた。
そして青年は頭の中で記憶をたどり、昨日制服を洗濯する為に生徒手帳をポケットから取り出した事を思い出した。
「確かここに……」
机の引き出しを開け、中を手探りで探す。
普段、中の整理をしていなかった事があだとなり、探すのに苦労する。
そして……
一つの物が手に触れた。
「ん、これ……」
その感触は名札とほぼ遠く、冷たく流麗。無機質の塊であることを簡単に察することが出来る。
青年はその物が何か直ぐに理解し、中から手繰り寄せた。
……それは、銀時計だった。
とても古く、しかしその輝きには一寸の翳り【かげり】も見えない。
客観的に見れば、実に見事な品だと思うだろう。
……だが、青年にはそうは思えない。
何故か。
それは、これが父の形見だから。
幼い日々の追憶に、流れ星のようにきらびやかに、しかし一瞬のように、垣間見える父の笑顔。
青年の、父との思い出はそれだけ。
ただ、それだけ。
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