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由来
津野山郷の開祖、津野経高は、梼の木の多い、この地を檮原と名付け、延喜19年(919)竹の薮より移り居城を築き、檮原官首に。伊豆(静岡県)より、三嶋大明神を勧請(かんじょう)したと言われる。
また藤原純友の乱の時に、伊予(愛媛県)河野氏に協力して、純友征伐に向かい、伊予三嶋大明神に詣で、純友の乱以後、帰国した時、伊予三嶋大明神も勧請して祀ったと伝えられる。
慶応4年(1868)3月に、三嶋大明神を三嶋神社と改称、明治40年(1907)明治44年(1911)に檮原地区無格社21社が、合祀された。
現在の本殿は、享和3年(1803)、拝殿は明治23年(1890)に再建されている。
彫刻物は、山口県の大工、中本喜作の作である。
境内には、津野家代々を祀る「津野神社」「朝鮮松(ハリモミ)」桂月大町芳衛書ね「鎮座千年碑」木で作られた神馬もある。
朝鮮松(ハリモミ)
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