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そうなった時に、何が気持ちの中に出て来るか…
「可哀想に…」と言う、哀れみの心です。
その時に『慈愛』や『慈悲』と言う気持ちが解るのです。
私はこの『慈愛・慈悲』と言う言葉が、好きではありません。この気持ちになると言う事は、相手の方を対等に思ってない様な気がするのです。
思いやりと優しさで相手に接し、それを相手の方が「慈愛に満ちた、慈悲深い方だ」と思われるのなら、それは、お互いを認めているから自然だと思うのです。
それを自らが「慈愛と慈悲で人に接したい」と思う事は、その段階で相手の方を哀れんでいる様に思えるのです。
御神仏様の境地で物事を考えると、自分の心が穏やかになるのですが、人は神なる心を持っていても、御神仏ではないと思うのです。
朝の雲(逆光)
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