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昭和20年―。
太平洋戦争は最終段階を迎えていた。
連合軍は1500隻の艦船と18万の大兵力揃えて、沖縄への上陸作戦を開始した。
これに対し、戦力も物資も劣る日本軍は、飛行機に250K爆弾を抱え、機体ごと敵艦に突っ込むという、特攻作戦で対抗した。
これは人命を兵器として使用するという、戦争史上例のないものであった。
鹿児島県、知覧町は陸軍特別攻撃隊の最前線基地となり、日本全土は勿論、朝鮮、台湾、中国戦線からも特別攻撃隊員が集まってきたが、その主力は学徒兵と少年飛行兵であり、最年少の隊員はわずか17才の若さであった。
出撃を待つ間、彼等の支えとなったのは、子供達の笑顔や、町の人達の温かさであった。
知覧、富屋食堂が軍用食堂、内村旅館と永久旅館の二軒が軍用旅館として、隊員と家族との最後の別れの場となった。
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