冬日の魔女と、ある孤児の話

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この人を、殺すのだ。 思わずみじろぎした拍子に、懐の短刀がするりと落ちた。 自分の望みを叶えるために貴女を殺しに来たのだと、どうして告げられよう。孤児は苦悩した。せめて夢のうちに死ねるよう、今すぐ喉を掻き切ってしまおうか。 父以外の人に親切にされたことなどなかった。どうして今更優しくするのだ。聞いた通りの悪党ならば、こんなにも罪の意識に囚われることはなかったのに。孤児は運命を呪った。 一つの命を奪おうとしている事への、これが報いだとでも言うのか。 ……いや違う。これは試練だ。正義を貫く意志が今、試されているのだ。躊躇うことは許されない。何のために旅をしてきたのだ。罪悪感など問題ではない。やらねばならない。やらねばならないのだ。 孤児はごくりと音を立てて唾をのんだ。震える手で短刀を翳し、今まさに魔女のか細い首にそれが降り下ろされようとしたその時、静かにこちらを見上げる魔女の琥珀の瞳と目があった。 凍りついた孤児と見つめあうこと暫し、魔女は口を開いた。 「もしかしたら違うかもと思った」 小さく掠れた声が、しかしはっきりと空気を震わせる。 「私に悪意を持つ人はこの森に入れないから、私の事を知らないのかもと。でもそんなはずはないものね。貴方もやっぱり、私を殺しに来たのね」 孤児は愕然とした。魔女の言葉にではない。見よ、魔女の瞳に映るその姿を。鬼の形相で凶器を翳す己の姿を。そこにいるのはかつて、父が最も嫌った暴力の獣ではないか! 気づくと孤児は泣いていた。 「嗚呼、違います。違うんです。私はただ、聞いてほしかっただけなのに。信じてほしかっただけなのに。どうして見捨ててくれなかったのです。どうして優しくするのです。最後にあなたに出会わなければ、私は、私は……嗚呼!どうして!」 あとからあとから流れる涙をとどめようともせず、哀れな孤児は泣いた。心の中につもり積もった悲しみをぶちまけるように泣いた。 呆けたようにそれを見ていた魔女は、おずおずとその年相応に小さな体を抱き締めた。最初はぎこちなく、次第にしっかりと。 「そう、そうだったの。きっと貴方も、ずっと苦しかったのね」 そう耳元で呟いて、孤児のこめかみから生えた、大きな角をそっと撫でた。 握り締められていた短刀は、からんと乾いた音を立てて床に落ちた。
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