働く理由

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「そういえば、店長の淹れたコーヒーって飲んだこと無い」  タクちゃんの淹れてくれたカフェオレと、コーヒーしか。料理だって、一緒に作ったし。店長1人で作ったものは口にしたことがない。 「お前コーヒー苦手じゃん」 「砂糖4つ入れれば大丈夫!」 「水樹に怒られるぞ」  うへえ、と嫌そうな顔をして髪を掻く先輩。チョークの粉が黒い髪につく。 「先輩、かがんで」 「は、何いきなり」 「かがんで頭出して」  もうお店はオープンしている。お客さんがいつ来てもおかしくない。身だしなみは大事だもの。  かがんだ先輩の頭をぱたぱたとはたく。チョークの粉は簡単に取れた。 「何?」 「チョークの粉がついてたの」  かがんだまま、顔をあげる先輩。バチッと目が合う。鼻と鼻がつくくらい顔が近くて、少しびっくりした。 「あ、りがと」  先輩は勢いよく私から離れ、顔をそむける。 「どういたしまして」  にやっと笑うと、先輩がチラっと私を見る。 「今俺のことバカにしたろ」 「してないよー」 「にやってした」 「してないよーう」  先輩が私に向き直る。 「嘘をつくのはこの口か」  少しずつ、先輩の顔が近付いてくる。20cm、10cm、5cm、吐息を感じる……あと少し。私は目をゆっくり閉じた。  カンカン! 突然、鋭い音がする。びくっと体が震え、目を開く。先輩の顔はいつの間にか遠くなっていた。 「いちゃつくのは仕事終わってからね」  いつの間にか、厨房から顔を出していたタクちゃんが、フライパンの底をお玉で叩いていた。
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