3⃣藤子 不二夫

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「藤本は生活ギャグ一本でやってきたが、自分は傾向が変わってきた。ブラックユーモアを描くようになったのが転機となった。作品も生活も自分と藤本とは違いが出て来た。自分が過激なのを描こうとして、藤本の『ドラえもん』を傷つけるといけないから。50まで漫画やるとは思わなかったし、やることはやり尽くして来たので、あとは好きなように気楽にやろうと別れた」と語る ●ペンを握って死んだ男 1996年9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。だが呼んでからいつまで経っても来なかったので娘が仕事場へ呼びに行くと、机に向かったまま意識を失っているところを発見される。 『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の62頁目を自宅の仕事場で描いている最中で、発見されたときは鉛筆を握ったままだったという。 3日後の9月23日午前2時10分にその生涯を閉じた。死因は肝不全であった。 自身も以前から先が長くないことを自覚していたようで、『のび太のねじ巻き都市冒険記』の大筋を執筆前に芝山努に教えていたり、死後の自身の作品の行方や、藤子プロの活動などに対して心配を寄せている内容を書いた手紙を残していた。 上野寛永寺で挙行された葬儀には、多くの人が参列し、出棺の時には「ありがとう弘さん」と大勢の人に見送られた。大山のぶ代は、葬儀のときに、「本当のお葬式の日、ドラえもん、のび太くん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫、ママ、パパみんなで先生を送りたいと思います」と涙をこぼしながら語った。 なお、訃報に際して、長きにわたって映画ドラえもんシリーズの主題歌を制作していた武田鉄矢は、1996年(平成8年)公開『のび太と銀河超特急』を最後に主題歌制作から外れた
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