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視界が、歪む。
足元が、歪む。
すべてが、歪んで。
立っているのが、やっとで。
黒い、渦。
壊しちまえ。壊しちまえよ。
手に入らないなら。自分の欲望に生きろ。
手に入らないなら。一時の夢を見ろ。
欲しいんだろ? 感じたいんだろ? 溺れたいんだろ?
自分のことだけを考えろよ。アイツのことなんか知るか。アイツは俺を傷つけたんだぜ? 傷、つき返してやれよ。一生消えない深い傷を。俺を見るたび疼くような傷を。
そうすれば、アイツは俺を忘れない。
壊せ。壊せ。壊せ。
俺の中の俺が叫ぶ。
天使と悪魔が1人ずつ居るって、よく聞くよな。
天使は、どこだ。
悪魔しか居ないじゃないか。
誰か、俺を止めろよ……。
俺は静かに棗に手を伸ばす。
申し訳なさそうに顔を俯かせているため、棗は気付いていない。
棗の肩に俺の手が触れる…………寸前。
「こーうー!!」
バタンッと勢いよく玄関のドアが開く音。ドタドタと迷惑極まりない足音と馬鹿でかい声。
「……兄貴だ」
チッと軽く棗が舌打ちし、顔を上げれば、俺は即座に腕を引っ込める。
ナイス、タイミング。
冷静にことを考えれば、俺は棗に酷なことをさせようとしていたわけで。きっと、激しく後悔することになっていただろう。
「なーつめー! 降りてこいよーっ!!」
2階に向かって叫んでいるであろう、薺の声。そういえば、ここはリビングだったっけ。一ノ瀬さんが居なくてよかった、本当に。
「ごめん、皐」
ビクッと体が跳ねる。
「俺、兄貴が帰るまで2階に居るわ。どうせ、俺に小言を言いに来たか、皐に用事か、どっちかだから」
「わかった。じゃ、これ」
鞄の中から参考書とプリントを何枚か手渡す。
棗は「ありがと」と言うと、うんざりとした様子で薺のほうへ向かった。
『ごめん、皐』
この言葉に過剰反応してしまった自分に嫌気がさす。そして、後に続く言葉にひどく安堵した自分にも。
俺は、いつからこんなに弱く、女々しくなったんだろう?
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