149人が本棚に入れています
本棚に追加
それから、天狗は毎日毎日女性と会話をした。もう隠れる必要も、話したいという気持ちを隠す必要はなくて。
しかし、毎回天狗は人の姿でしか彼女の前に現れない。女性がどれだけ本当の姿を見たいと言っても。
それは天狗としてのプライドか、それとも彼女と同じ種族でいたかったのか。
夢を見ている恢には分からないが、彼女は分かっていたらしい。いつしか、天狗の姿を見たいとは言わなくなった。
『あら、こんにちは紅灯(こうひ)』
彼女は天狗に名をくれた。今まで名前なんてなかったから、とても嬉しくて。
彼女は名前を教えてくれた事があったけれど、結局は一度も呼べなかった。
綺麗な名前。光り輝く、美しい名前だから。妖怪である自分が呼んだら、汚れてしまいそうで。
そんな事を告げると、彼女はいつも笑うのだ。馬鹿ねと、あの穏やかな笑顔のまま。
『私の名前はそれだけで強い力を宿しているわ。妖怪に呼ばれただけで汚れたりしない』
彼女が近寄ってくる。いつもどこか距離をつくっていたのに、それに構う事なく。
これ以上は駄目だ。境界線を越えては駄目だと。しかし彼女は頬に触れた。目の前で、蕩けるように笑ってくれた。
『それに、紅灯。私は貴方に名を呼んでもらいたいわ』
我慢が出来なくて。折れてしまいそうな彼女の体を引き寄せて、力いっぱい抱きしめる。
細い。人間とはなんて弱々しい生き物なのだろう。すぐに消えてしまいそうだ。
儚くて、切なくて、弱々しい。だからこそ、とても愛しい。
『好きよ、紅灯』
『俺もだよ――』
最初のコメントを投稿しよう!