94人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
パンクが店に出ると、腰の曲がった小さな老婆が商品棚を覗き込み、ジッとイカを眺めて耳を指で摘まんだり、腹を押したりしていた。
「スミばあちゃん、今日はイカにしはるん?」
「ワタ抜いて捌いてくれんこ」
「お造りにするん?炒めるんやったら、ワタつこて炒めたほうが美味しいよ」
「煮付けるけんワタいらん。台所が臭なるけんね」
亜弍は商品棚からイカを手に取ると、流しでぐるりと足を捻りワタを切り、流水で胴を洗い開いて筋を切り取った。トレーに入れる。
「スミばあちゃん捌けたよ、こっち入れとくしね」
「ほんげまあ亜弍ちゃんよ、いつ婿取ったんこ?」
「婿なんか取っとらへんよ。この人は新しいお手伝いさん」
「ばあちゃんよろしく頼むぜ。ここに厄介になるんは一ヶ月ほどだけどな」
「ほげなこったで。握手してくれんこ」
「あいよ。ばあちゃんこれでいいか?」
スミ婆さんが伸ばした岩のようにゴツゴツとした右手を、パンクはがっしりと掴む。
「ふぉ、ぬふぉ。ヌシ男前やけ、触れたらわしゃ若返るけんね。亜弐ちゃんやのうて、婿にこんけ?わしの婿にこんけ?」
「ば、ば、ばあさん。すんげー力してんな。そ、そ、ろそろ手を離してくれねえか」
「嫌やけ。手繋いで若返るけのう。ほげな、わしの婿になっ」
ドスっ、という鈍い音が聞こえた。帝国陸軍のサイドカーがスミ婆さんをはね、急停止する。
エンジンを切りヘルメットを脱ぎバイクから降りる男。丸刈りで切れ長の一重、面長で引き締まった顎。肩の階級章は大尉。
着帽してからサイドカーのミラーで帽子の被り方を確認する。サイドカーの後ろに帝国陸軍の兵士が八人乗るトラックが止まった。
「スミばあちゃん!」転がり土埃だらけのスミ婆さんに亜弍は駆け寄り、体を屈める。
「ばあちゃん大丈夫?起きれる?」
「わしを轢くなってもこら、どごうろけん」と呟きながらスミ婆さんは顔を起こした。
「コラてめえ老人を轢くんじゃねえ!ちゃんと前見て運転しろや!」とパンクは怒鳴るが、ミラーから目を離した大尉はパンクを無視して、商品棚の魚を摘まむ。
「フン、悪くはないな。接収してやる。おい、運べ!」
最初のコメントを投稿しよう!