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マリネットホテルは知っていた。美穂子に昔、ケーキバイキングがあるからと誘われたが、甘いものが苦手な未来は丁寧に断った。
「今、ロビーにいますので、いらしていただけますか」
そう言われて電話を切ると、マリネットホテルに向かった。
未来は自分が小走りになっていることに気が付いて笑った。
初めて入るそのロビーはこぎれいで、活けてある花が、シャンデリアの照明でキラキラと輝いていた。
美穂子に見せられたパンフレットよりもなお、素敵な雰囲気に一瞬見とれてしまった。
照明は柔らかなオレンジだ。
活けられている大きな花瓶の向こう側に、このホテルの雰囲気とは不釣合いな恰好をしている男がソファに座っていた。
アズキ色のニット帽に、エスニック柄のパーカー、ジーンズといった江崎は昼間、スーツで会った彼とはイメージが違った。
未来はボーイに会釈をされ、江崎の所に歩いて行った。走ってきた事を悟られないように、ゆっくりと。
「こんばんは。」
未来の言葉に、落ち着きなくタバコを吹かしていた江崎は、タバコを消して、こんばんはと笑った。
「こんな恰好ですいません。スーツは慣れていなくて」
申し訳なさそうにうつむく江崎の長いまつげに、未来は見入っていた。
「私もジーンズですし、気にしないで下さい」
店頭に立っているときの笑顔で、未来は江崎に笑いかけた。冷静に繕っていた。会ったばかりの男に誘われて、のこのこ足を運んだ自分に嫌気がさした。それでも、携帯電話のこともあるし、仕方ない。と、笑顔の中で、自分をたしなめていたのだ。
「今、出張中で。こんないいホテルに…。どこかお食事付き合って頂けませんか…と言っても、美味しいところなんて僕には分からないんですが…」
照れて髪をかくのは、この人の癖だな、とほほえましく思った未来。
「居酒屋だったら、美味しいところ知ってますけど、いかがですか?」
未来は時計の針を気にして、江崎に話しかけた。
うつむいていた江崎は顔を上げて笑った。
「むしろ居酒屋のほうがいいですね、なにせこんな格好なんで。お時間大丈夫ですか」
腕時計を見て、未来の顔を窺う江崎の眼は何かを懇願しているように見えた。
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