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私が学校で歴史を学んだ頃は、江戸時代初期、鎖国という政策が行われて、日本はオランダ、明(中国)以外の国とは国交を断絶しました。理由はキリスト教を排除するためと教えられましたが、実際はどうだったのでしょうか?
1⃣国交はあった
実際は完全な孤立はなく、幕府は外交・貿易の権限を制限・管理しただけでした。
管理貿易としては、オランダ・中国は長崎出島、朝鮮は対馬藩、琉球は薩摩藩、アイヌは松前藩が行われてましたが、密貿易は行われており、海外の情報は国内に入ってきてました。
ロシアの南下政策などの情報も入ってきており、その対策もとられていました。
このような事から、西欧の情報がもたらされ、譲夷という考えが生まれたり、開国以後の急速な近代化が達成できた基盤になったと思われます。
その反面、急速な欧化政策によって現代日本人の白人コンプレックスが生まれました。
文明開花は自国の文化否定させ、西洋上位という考えを生み、周囲の東洋諸国を下位に見てしまいました。
2⃣鎖国があったから植民地にはならなかった
これは完全に間違っています。その気があれば鎖国していようが、していまいが、植民地化は可能だったと思われます。
植民地化されなかったのはたまたま西欧情勢が日本に味方しただけと思います
その結果は幸運をもたらしましたが、逆にアジアでは日本が独り勝ちという錯覚を招く結果ともなりました。
次章からは国別の関係からみた日本を考察します。
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