34人が本棚に入れています
本棚に追加
日露関係を考察する前に、国内事情や背景を少し考えたいと思います。
①松前藩
当時の日本は幕藩体制という構造でした。
幕府という中央行政があって、藩という地方行政がある。現在の日本とは違い中央集権というよりは地方分権の構造でした。
幕府は外交に関して、諸藩に対しては権限を与えていませんでしたが、松前藩、対馬藩、薩摩藩には条件付で認めていました。
条件は限定した相手のみ、という事です。
松前藩とは蝦夷地(北海道)を拠点としていた藩です。
当時の経済基準は米の収穫量で決まってました。
石高という単位です。
しかし、蝦夷は米の収穫はない土地なため、幕府はアイヌとの交易を認め、その収入を1万石に相当するとしました。
藩の統治者の大名は1万石以上であるという取り決めがあったからです。
松前藩はアイヌを経由もしくはロシアから直接、国外の情報を入手する機会がありました。
最初のコメントを投稿しよう!