開国以前の日露関係史

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日露関係を考察する前に、国内事情や背景を少し考えたいと思います。 ①松前藩 当時の日本は幕藩体制という構造でした。 幕府という中央行政があって、藩という地方行政がある。現在の日本とは違い中央集権というよりは地方分権の構造でした。 幕府は外交に関して、諸藩に対しては権限を与えていませんでしたが、松前藩、対馬藩、薩摩藩には条件付で認めていました。 条件は限定した相手のみ、という事です。 松前藩とは蝦夷地(北海道)を拠点としていた藩です。 当時の経済基準は米の収穫量で決まってました。 石高という単位です。 しかし、蝦夷は米の収穫はない土地なため、幕府はアイヌとの交易を認め、その収入を1万石に相当するとしました。 藩の統治者の大名は1万石以上であるという取り決めがあったからです。 松前藩はアイヌを経由もしくはロシアから直接、国外の情報を入手する機会がありました。
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