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朝、目覚めてもそこに見慣れた風景は無く、あるのは古宿の傷んだ壁だけだった。
私は、まだ眠りから醒めない身体を引き摺り、起こすように布団から両足を下ろしベッドから立ち上がる。
そのまま、足を鏡の前に進め、すぐ近くにある蛇口を右手で捻り水が流れ始める。
それを、両手で掬い取り顔をその水に触れさせ、再び、鏡へと顔を戻すと傍らに置かれた布で水滴の残る顔を拭き、蛇口を捻る鏡に映る自分をどこか他人のような感覚で眺めている自分に気がついた。
それから、軽い朝食をとり部屋に戻っても、何をしていいか分らず私は、半日という時間をベッドの上で過ごす形となってしまった。
よく考えると私は、修道院以外の生活を知らない。
これから先も、知ることさえもないと思っていた。
私の生涯はあの場所で閉じるのだとそう思っていた。
皆がどうしているだろう。
マザーやエルダや皆のことを考えると、泣くつもりが無くても、涙は私の頬を伝った。
これからどうすればいいのか分らない不安が、私の心を支配して、怖くて寂しくて、どうしていいか分らず私は、ただ泣いているしかなかった。
後から後から、零れ落ちる涙は、途切れることを知らないかのようにベッドの白いシーツに染みをつけ広がり消えた。
『悲しいかい?ならオイラがあんたを寂しくない場所に連れて行ってあげる。
だからおねーさん、その美味しそうな命、オイラに頂戴?』
突然、室内に響いた声。
私は、ゆっくり視線をあげると、目の前には明らかにこの世の存在ではないものが立っていた。
紅い舌で唇を舐め、鋭く尖った指先からはまだ真新しい鮮血が滴り床に水溜りを作り始めていた。
「・・っ」
私は、その光景にぞっとしながらも逃げなくてはいけないと、ベッドから降り部屋を飛び出した。
とにかく外へとその足で地を駆けた。
宿を飛び出し、野を駆け私は、一本の大きな木のふもとまで来ると息切れしその場に座り込む。
「何故私がこんな目に・・」
『何故だろうねぇ・・おねーさんがとっても美味しそうな匂いさせてるからだよ』
逃げ切れた。
と思っていたのは、愚かな考え、悪魔と契約したことで私はその匂いさえも強めてしまったのだろうか。
誰か・・助けて。
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