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都市といえど、人口は二千人程度。石畳の街並を、本を片手に歩き回れど行きかう人の数は決して多くない。都市に住まうことを許された民は、そんなに多いわけではなかったようだ。
先ほど森の中で見つけた三個目の碑文の内容を歩きながら手帳に記す。その間私の横を通り過ぎる人物は何人かいたが、誰一人として声をかけるものはいない。
奇人。そんな声が背中を突き刺す。
何とでも呼ぶといい。過去を学び、今に活かそうとしないのは愚か者のすることだ。変化を恐れる臆病者のなすことだ。
「……臆病者」
自身の脳でついた悪態から、私はふとあることに気が付いた。それは、これまで調査した碑文と、今回との相違。
既に何度開いたか分からない手帳を開き、癖のついたページをなぞるように捲る。町の真ん中で立ち尽くしたまま、私はこれまでの研究結果を再度調査する。
――曰く、我らはここに記す。永久の先に誰ぞ真実を織(し)ることを願い。
天の都市。其はゆるし者の地。選ばれし民の住まう地。
汝、不浄なるものを許すなかれ。不浄なるものは、汝の力をもって之を滅ぼすとせよ。
――罪とは、罰せられるべきもの。請うても、求めても、無くなること能わぬもの。
故に、罪を重ねてはならぬ。罪を背負いしものは、その身を亡ぼすことでしか贖うことは出来ぬと知れ。
罪を負わぬことも気高きことであるならば、負った罪を亡ぼすこともまた気高きこととせん。
前二つの碑文には、大体このような文章が記されていた。恐らくは、天空に住まうものとして気高くあれと謳う文章。
だが、今日調査した碑文の内容は前二つとは明らかに異なる。気高くあれと謳う前二つと比較しても、臆病さがにじむ。
そう、まるで誰かが真実から逃げるべく、或いは何かを回避するために後から付け足したかのように。
だが仮にそうであるとして、碑文が一つだけ異なる作者の手で記されたとするのならば、それは何を意味する?
その真意は? いや、そもそもその仮定は正しいのか?
図りかねる意図を推察し、こんがらがる思考を精一杯整理しようとしつつ、私は再度の帰路へ着く。その背中から伸びる影を、追ってくれる同志など私にはいない。
覆い尽くす孤独が、私を塗りつぶす。
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